文身師(彫り師)のルーツってなに?【日本の刺青文化】

文身師(彫り師)語源

文身師(彫り師)のルーツについてご紹介します。

*この記事では、刺青に馴染みのない方でも分かりやすいように、彫り物・文身・刺青の類の表現をすべてイレズミで統一しております。

文身師(彫り師)のルーツとは?

江戸時代後期の1800年頃までは、イレズミを専門に彫る職業、つまり分身師(彫り師)というのは職業は、まだ確立されてなかったようです。

当時は、浮世絵を摺るための版画を作っていた木版彫師や金属の細工職人たちが、イレズミ(分身)を彫っていたと伝えられています。

なぜ木版彫師や細工職人がイレズミを彫っていたのか?

木版彫師や細工職人たちが、なぜイレズミを彫っていたのか?

それは、彼らの生業としていた職業が「のみ、小刀、彫刻刀」といった道具を使い、浮世絵をもとに版画を作っていたので、版画作成の延長線で人間の体にも墨を刺して絵を描いて(彫って)いったとされています。のみを巧みに使う仕事ならではですね。

【浮世絵版画の作成風景】
画像引用:webilio

版画職人(文身師/彫り師)たちはデザインを考えていたのか?

版画職人たちの仕事は、あくまでも絵師が描いた作品をもとに、版画を作成していました。

浮世絵師が作品を作る→版画職人が木版画を作成する。の流れです。*細かくいうと、他にも摺師(摺る人)もいます。

そして出来上がった(コピー)された絵が江戸の庶民たちのもとへ届き、庶民が気軽に楽しめる娯楽へとなるのです。

つまり版画職人は、絵師が描いた図柄を彫っていたのです。

ここで、日本の刺青文化を語る上で欠かせないデザインのひとつ、中国の小説「水滸伝」に登場する豪傑たちを描いた図柄というのが登場します。

そう、背中一面に彫られた豪傑な漢たちのデザイン。イレズミに関わりを持つ人なら、一度は見たことはあるでしょう。

画像引用:My modern met
浮世絵 刺青 分身 江戸時代

なぜこのような水滸伝の登場人物たちが、イレズミのデザインとしても流行したかというと。

人気絵師である歌川国芳が、当時流行していた小説「水滸伝」に登場する英雄たちを題材にした「通俗水滸伝豪傑百八人之」という浮世絵を発表したのです。

歌川の描くこの水滸伝の作品は、たちまち江戸中で人気を集め、イレズミにも転用されイレズミブームにも火をつけたのです。それまでも、動物や文字といったイレズミのデザインは多々ありましたが、この水滸伝の豪傑たちをデザインしたイレズミは、その後の日本の刺青文化に欠かせない図柄となるのです。

やがて、イレズミの流行をきっかけに文身師(彫り師)というイレズミを専門に彫るという職業が確立されていくのです。

彫り師という語源も、この版画を彫る「彫り師」から派生していったとされています(諸説はあります)。

以上が、日本における文身師(彫り師)のルーツです。

日本が誇る浮世絵師の歌川国芳について興味がある方はコチラをどうぞ。
初心者にも分かりやすい入門編で、読みごたえもがある本です。参考になります。

*楽天はないようです。

 

他にも刺青にまつわるテーマで記事にしてます。ぜひご参考下さい。

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