入れ墨は犯罪者って本当??罪人への刑罰

入れ墨は犯罪者の証japanese-tattoo
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入れ墨は犯罪者って本当??罪人への刑罰

墨刑という刑罰

その昔、大化の改新(646年)まで日本では「墨刑」という刑罰が行われていた。墨刑とは、罪を犯した罪人への刑罰として顔や腕に墨をつけること。

しかし、大化の改新で法体系が五刑(笞刑、杖刑、徒刑、流刑、死刑)に変わり、この墨刑は日本から姿を消すのであった。その代わりに罪人の耳や鼻を削ぎ落すといった、厳しい刑も、後々に行われるようになっていく。

しばらくは墨刑は表舞台に表れないが、1700年前後になると、今度は罪人へおこなっていた耳や鼻を削ぎ落すといった刑が廃止されてしまい、またもや墨刑が復活されるのである。

この頃には、罪人の顔に「悪」といった入れ墨を入れたり、腕に「線」を引いて、罪人の証として墨を体に入れられた。

この為、「入れ墨」は犯罪者の証と言われるようになったのである。

ここで注意して欲しいのは、現代は墨をいれること全般にイレズミ呼んでいるが、当時は罪人に墨をいれるのが「入れ墨」で、自ら好んで入れたのは「文身」などと分けて呼ばれていた。

罪人への入れ墨の仕方

墨刑いろいろ日本の入れ墨
『徳川幕府刑事図譜』より

このように、場所や年代において罪人へいれる様々な入墨が存在した。

たとえば、江戸であれば左腕の前腕(肘下あたり)に二本の線が引かれている。

また、上記の線に加えて『地名』も入れられている地域もあったようである。
『紀州追放』といった具合に。いろいろな入れ墨があった。

どうゆう犯罪者が墨を入れられたの?

これは、江戸幕府八代将軍 徳川吉宗が1742年に制定した「公事方御定書(くじかたおさだめがき)」を基本に裁かれていた。

この公事方御定書と言うのは、簡単にいうと基本法令や民事に関する定めなどが書いてある百箇条のようなもので、これは、いまでも引き継がれている基本理念でもある。

入れ墨を強制的に入れられるわけだから、凶悪な犯罪者が対象になるかと思えば、そうでもなかったようである。

例えば、現在のお金に換算して30万くらいのお金を強盗して死罪や入墨の刑に処されたといった記録もある。殺人者のような重犯罪者じゃなくても入れ墨をいれる刑罰の対象になったのである。

このような時代背景から、昔は「入れ墨」=「犯罪者」という言葉の繋がりが生まれたのである。

時代によって言葉は変わり、呼び方の区分が曖昧になることはよくあること。

イレズミも同様に、体に墨を彫ったこと全般をイレズミと読んでいるが、語源を知っておくと当時の時代背景を見ることができて、とても面白いテーマである。

まとめ

国、地域や種族によって様々な歴史が存在する「イレズミ」。
日本が開かれた国際都市になるのであれば、世界の文化も受け入れる勇気が必要となる。

もちろん、現代においてどのようなイレズミがあろうと、それだけで犯罪者と決めつけることはできない。逆もしかり、刺青を威嚇の道具に使ったりすることは、刺青保持者の品格を落とすことに繋がるだろう。

刺青があろうとなかろうと、お互いが刺青を意識せず、同じ空間を心地よく共有できる事が将来できるのだろうか?楽しみである。

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